【ラジオ】「好き」を追い続けたオタクが、“応援の循環”を生む会社を作るまで。阿部裕華さんインタビュー

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今回は、推し活メディアの運営コンテンツ制作・販売を手がけるコーク株式会社の代表、阿部裕華さんにお話を伺いました。

会社経営だけでなく、インタビューライターや“BL(ボーイズラブ)愛好家”としても活躍する裕華さん。
小学生の頃からオタクとして「好き」を追求し続け、現在は大好きな2次元カルチャーに関するコンテンツを発信する仕事をしています。

多くの人が憧れる世界で活躍する裕華さんですが、仕事をする上で何よりも大切にしているのは「誠実さ」だそうです。
インタビュー中も、取引先や周囲の人とのご縁を大切にしながら、一つひとつの仕事に丁寧に向き合う姿勢が伝わってきました。

「好き」を追い続けたオタクが、どのように仕事を築いてきたのか。
これまでの歩みと、未来への展望を伺っていきます。

🎙ポッドキャスト

📝記事起こし

ミーハー心で仕事しない。「好き」を仕事にするからこそ、距離感を大切に。

ーーまずは、ライターのお仕事について教えてください。

主に『日経エンタテインメント!』(日経BP)やコミックナタリーなどのエンタメ系メディアを中心にインタビュー記事を書いています。日経エンタ2026年6月号では、実写BLのトレンド解説も担当しました。私自身BLが大好きで、過去に共著での出版経験があったことからいただいたお仕事です。

日経エンタテインメント! 2026年6月号 [雑誌]

また、ライターになる前はシステムエンジニアとして働いていたので、テック系やビジネス系の記事を書くこともあります。はじめからエンタメ記事を書いていたわけではありませんが、会社を設立する以前フリーランスになったタイミングで「せっかく自由に取り組める働き方なんだから好きな領域で仕事がしたい」と思い、挑戦しました。

ーー裕華さんといえばBLですね。(笑)後ほど詳しく伺いたいと思います。エンタメ業界でライターをやっていくのは難しいイメージがありますが、どうでしょう?

「やりたい人が多い」という意味では、ライバルは多いのかもしれないですね。でも、ビジネス系であれば業界のことを知っていないといけないし、テック系であれば技術的な知識が必要だったりするので、どのジャンルにも違った難しさがあると思います。

ーー声優やアーティストにインタビューする時は、どのくらい事前に情報を調べていくんですか?

過去のインタビュー記事を読み込むなどして、かなり調べます。でも私の場合、知りすぎると逆に聞きたいことが聞けなくなることがあるので「5割ほどは知っておいて、余白を残す」ことを意識しています。あえて「無知」を出すことで、聞きづらいことも自然に聞くことができるんです。あとは、記事のテーマに合わせて過去記事には出ていない情報やさらに深掘りできそうなポイントを考えたりもしています。

ーー趣味と仕事が繋がっている働き方ですね。

あまりにも密接につながりすぎているからこそ、ミーハーになりすぎないことを大事にしています。あくまでも仕事相手としてフラットに向き合う。対象者の方も人間なので、取材をすれば、知らなくてもいい面まで知れてしまうこともあります。だからこそ、取材対象者との距離感をすごく意識します。ただ、事前に作品を読んだり見たりする時間は、普通に趣味として楽しんでいるので、プライベートのオタクモードの自分と仕事モードの自分をちゃんと切り分けていますね。

ーーそのような姿勢は、仕事をしていくうちに身についていったのですか?

周囲のライターさんや編集者さんからも、「公私混同せずに取り組んでくれる人の方がやりやすい」という話は聞いていました。加えて私自身が声優さんなどの“人”よりも、アニメや漫画の“キャラクター”のファンになるタイプだったので、あまり苦労することなく今のスタンスが身についていったと思います。

今あるつながりを大切に。信頼と実績を積み重ねる、コーク株式会社の事業づくり

ーー次に、会社の事業について伺っていきたいと思います。コーク株式会社はどんなことに取り組んでいる会社ですか?

メインの事業は、オタク女性向けのウェブメディア「numan(ヌーマン)」の運営と、出版社さんや他業界の企業さんからご依頼いただいた記事を制作する編集プロダクション事業の2つです。その他にも、オリジナルコンテンツの制作・配信も行っています。今後は他社さんとコラボする形でイベントやグッズ制作などにも取り組んでいきたいと考えています。

ーー事業を広げていくうえで、意識していることは何ですか?

最初から無理に広げないことです。会社を立ち上げる前、フリーランスとして8年ほど活動していたので、まずはそこで繋がったクライアントさんに誠実に向き合い、しっかり実績を積み上げていきたいと思っています。会社化したことで受注できる仕事の幅は広がりますが、実績がまだ少ないうちに新しい人に会いに行っても、「何ができる会社なの?」 と思われてしまうんですよね。だからこそ、まずは、こちらができることを提示できる土台を作る。そうしてはじめて新しいご縁を広げられるのだと、実体験から強く感じました。

ーーそういう意味で、コーク株式会社はどんな価値を提供していく会社なんですか?

スピード感を持って、クライアントさんの「やりたい」を形にできることが、私たちの強みだと思っています。現在は私を含めた2名体制で運営していますが、私ももう一人の社員もできることの幅が広いんです。ライティングだけでなく、企画づくりやインタビュー、編集、デザイン、イラスト制作まで対応できます。企画段階から制作まで一貫してお手伝いできるため、付加価値として提供できるものも多いと感じています。

ライターとして、AI時代をどう生きるか

ーーとはいえ今の時代、エンタメ業界で生き残っていくのはやっぱり大変そうですよね。

正直なところ、エンタメだけにこだわる思いはそれほど強くないんです。会社としてやっていく以上、きちんと利益を出していくことが第一に大切です。ジャンルを問わず、価値を提供できる仕事にはしっかり取り組んでいきたいですし、これまでお世話になってきたクライアントさんとのご縁も大切にしたいと思っています。“書く”だけではなく、企画段階から伴走し、クライアントさんのやりたいことを形にしていく。そうした価値を提供できる会社でありたいと思っています。

ーーエンタメに限らず、ライター業はAIに置き換わる部分も増えてきていますよね。

ただ記事を書くだけならAIに取って代わられるのは間違いないと思っています。今のAIであれば、クオリティの高い文章を、誤字脱字もなく作れてしまうので。インタビュー、企画、編集、ポッドキャスト、動画制作など、なんでも良いので、書くこと以外に何ができるのかを考えていかないといけない時代なのだろうと思います。

ーー実際に仕事の中で、AIの波を感じた瞬間はありましたか?

編集者として仕事をしていると、お金をかけてライティングを依頼しなくても、AIである程度の記事が作れてしまう現実が見えてしまうんです。私自身も危機感を覚える瞬間はありますね。最近はAIも自然な文章を書けるようになってきていますし、自分の過去の原稿を学習させれば、自分の文体すら再現できるようになっているなと感じます。

イラスト、デザイン、映像。「作ること」を軸に歩んできた人生

ーーお話を聞いていて、裕華さんは作ること自体が好きなのかなと感じました。

「裏方でクリエイティブなことをしたい」という気持ちは、子どもの頃からずっと変わっていないかもしれません。小さい頃は絵を描くのが大好きで、交換日記に漫画を描いたりしていました。中学生になると、美術の授業でPhotoshopを教えてもらったり、高校は自分で授業を選べる総合学科高校に進んだので、CGやデザイン、映像系の授業をたくさん選択していました。形は変わっても、ずっと「作ること」を軸に生きてきた気がします。

ーーその後、システムエンジニアの道に進むわけですね。

もともとは映像の仕事に就きたくて、大学でも映像をメインに学んでいました。ただ、映像業界は狭き門だったので、並行してプログラミングも勉強していたんです。就職活動では第一志望の映像会社の最終面接まで進んだものの、不採用となり、燃え尽きてしまいました。そこで、すでに内定をもらっていた動画配信プラットフォームを扱う会社にSEとして入社しました。映像そのものの仕事ではありませんでしたが、動画に関わる事業だったので、自分の中ではまだ映像への思いを捨てきれていなかったんだと思います。

ーーエンジニアの仕事はどうでしたか?

システムを作る前の企画書を作ったり、外部のプログラマーさんに開発してもらったものを検証したりする業務を担当していたのですが、多くの顧客を抱えているサービスだった分、責任も大きく多種多様な問い合わせに対応しなければいけなかったり……正直、大変な仕事でした。

ーーエンジニアというキャリアは、今の活動からすると、少し意外です。

実は私、ライターなのに理系で国語が苦手なんです。高校も選択授業が多かったので、2年生以降は国語を一切取らずに、理系科目ばかり選んでいました。数学はきちんと答えが出るのですごく好きだったんですよね。 逆に国語は、「絶対の正解」がない感じが苦手で。「作者の気持ちを選びなさい」という問題に対しても、「それって作者にしか分からなくない?」ってずっと思っていました。

ーー文章読むのが苦手というわけではなく、「国語」という教科が苦手だった、みたいな?

それはあるかもしれないです。ただ、もともと本をたくさん読むタイプでもありませんでした。漫画は好きだったけど、小説のように解釈を委ねられるものは、読んでいて少し疲れてしまう感覚があって。対して、理系の論文は好きでした。ちゃんと答えが書いてあって分かりやすいし、書くこと自体にも苦手意識はありませんでした。思えば今書いているインタビュー記事も、「矛盾なく整理して書く」という意味では、理系の論文に近い要素があるかもしれません。

“飴と鞭”で鍛えられ、ライターの道へ

ーーそもそもライターを始めたきっかけは何だったんですか?

最初に入った会社を辞めようと思っていた時に見つけたのが、次に入社した会社でした。当時としては珍しく、リモート勤務を取り入れていたり、副業OKだったり、週休3日で働いている人がいたりして、「こんな働き方があるんだ!」と衝撃を受けたんです。

「絶対ここに入りたい」と思ったのですが、唯一未経験で応募できた職種が「編集・ライター」でした。経験はまったくありませんでしたが、その会社に入りたくて応募しました。これがライター人生の始まりです。新しい働き方を発信するWebメディアを運営している会社で、さまざまな働き方をしている企業さんを取材したり、働き方を紹介するコラムを書いたりしていました。

ーーその会社で、ライティングを学んでいったんですね。

取材の仕方から記事の構成まで、本当にたくさんのことを学ばせてもらいました。ライティングだけでなく、編集として他の人の記事を読む機会も多かったので、かなりスピーディーにいろいろなことを学べたと思います。

特に今でも感謝しているのが、2人の先輩との出会いです。一人はすごく褒めて伸ばしてくれる“飴”の先輩で、もう一人はかなり厳しく赤入れしてくれる“鞭”の先輩。鞭の先輩に対しては「なんでそんなことまで言われなきゃいけないんだろう」と思うこともありました。自分の文章に赤を入れられる経験なんてほとんどなかったので、当時はかなりしんどかったです。でも、今振り返ると、そのお2人がいたから今の自分があるのだと思っています。辞めた後も仲良くさせていただいて、本当に素敵な先輩たちに囲まれていたなと感じています。

ーーその頃から「ライター・編集の道でやっていこう」という思いはあったのですか?

そこまで強く意識していたわけではありませんでした。ただ、「手に職をつけられる仕事だな」という感覚はありました。一緒に働いていたライターさんにはフリーランスの方も多くて、「会社に所属しなくても、この仕事で生きていけるんだ」ということを身近で見ていました。

ーー当時は、何か将来のビジョンを何か描いていましたか?

実はあまりありませんでした。ライターを始めた会社が解散することになり、その後お声がけいただいた会社に転職したのですが、同じ時期に体調を崩してしまいました。さらに結婚のタイミングも重なったこともあり、一度会社員を辞めることに。体調を整えながら仕事を続ける方法を考えた結果、たどり着いたのがフリーランスという働き方でした。独立志向が特別強かったわけではなく、その時の自分にとって一番自然な選択でしたね。

コロナ禍のピンチで始めたBL連載。趣味で書いたnoteが、書籍化するまで。

ーー2018年に独立し、その後「コロナ禍」がやってきますが、コロナでお仕事のやり方に変化はありましたか?

独立したばかりの頃は、ありがたいことにお仕事もたくさんいただけて、エンタメ系のお仕事も少しずつ増えていきました。しかしコロナが流行しはじめて、2020年4月に緊急事態宣言が出され、取材が1件もなくなり「本当にやばいな…」という状態に。前年にたくさん働いていたので、税金や保険料も高額でした。しかし、自分だけでなく、クライアントさん側も全部止まっていたので、もうどうにもできなかったんですよね。そこで始めたのが、自分のnoteでBLのコラムを書く、ということでした。攻めと受けの違いとか、商業BLと同人BLの違いとか、そういった「BLの基礎知識」を趣味半分でまとめ、ひたすら書きました。何もしないと不安になってしまうので、書くことで、気持ちを紛らわせていましたね。

ーーそれが後に書籍化にもつながっていったのですね。

そのnote連載を見てくださっていた「アニメイトタイムズ」の編集の方から、「この連載、うちでやりませんか?」と声をかけていただきました。さらにその後、連載を見た三笠書房さんに声をかけいただき、書籍化することになりました。コロナ禍でも、立ち止まらずに書き続けて、本当に良かったと思います。

ーー書籍を読ませていただきましたが、BL好きが無意識に考えていた「当たり前」を、ちゃんと言語化してるのがすごいなと思いました。

ありがとうございます。最初は、自分の知識を整理する感覚で書いていました。ちょうどその頃、タイでBLドラマが流行ったり、日本でも実写BL作品が増えたりしていたので、「今なら需要があるかもしれない」と思って、BLの基礎知識を解説する記事を書き始めたんです。

「攻めとは何か」「受けとは何か」といった基本的なことから、商業BLと同人BLの違いまで、初心者の方にも分かるように整理していました。

ーー最初は“同人”と“商業”の区別がつかない人、多いですよね(笑)。

そうなんですよ(笑)。昔はBOOKOFFなどにジャンプ系の二次創作アンソロジーが普通に並んでましたよね。ああいうものを買ってBLに入る人は結構多かったと思うんです。同人誌なのに、商業作品と同じ棚に並んでたりして、公式BLなのだと勘違いしてる人もいたりして。そういった“BL初心者あるある”を、自分の経験も含めて整理していきました。

ーー対談形式なのも読みやすかったです。

対談形式にしたのは、アニメイトタイムズの編集さんのアイデアです。編集さん自身はそこまでBLに詳しくなかったので、「初心者代表」として質問役に入っていただき、私が説明する形式にしたら、読みやすくなるんじゃないかと提案してくださいました。

ーー本が出ると決まった時は、どう思いましたか?

めちゃくちゃびっくりしました(笑)。趣味でnoteに書いていたものがWeb連載になり、それが本になるなんて、「本当に何が起こるかわからないな」って。書籍化が決まった時点では連載もまだ5回ほどだったので、書籍用に追加でかなり書き下ろすことになりましたね。本を作る過程も知れて、すごく面白かったです。

BL塾: ボーイズラブのこと、もっと知ってみませんか? (王様文庫)

ーーそこから、書籍をきっかけに“BL愛好家”としての活動も増えていったのですね。

自分としては、専門家ではなく「ただBLが好きなオタク」というスタンスでいたいと思っています。本がきっかけで、BL作家さんのインタビューをさせていただいたり、テレビ番組で最近のBL事情についてお話ししたりするなど機会は増えましたが、自分から「BL専門家として活動していこう」と考えていたわけではありませんでした。もちろん、BL関連のお仕事をいただけるのはすごく嬉しいですが、あくまで私は「ただのBL好き」でいたい、という感覚があるんですよね。

小4で出会ったBL。好きなものを「好き」と言える環境が育ててくれたオタク魂

ーーBLに初めて触れたのはいつなんですか?

厳密には小学校4年生くらいです。当時は本屋さんで立ち読みができたので、漫画雑誌などを片っ端から読んでいて、その中にBL雑誌がありました。最初は普通に男女ものだと思ってパラパラめくったら、「あれ、胸がない……?」と思って(笑)。当時のBLって、受けのキャラがすごく綺麗で可愛い絵柄が多かったので、本当に女の子に見えていたんですよね。ただ、その時はまだ幼すぎて「見ちゃいけないものを見た……」と、その場で本を閉じて終わりました。

ーーそこから、どうやってハマっていったんですか?

小6の時にアニメ雑誌を買い始めたのが大きなきっかけになりました。当時、声優の保志総一朗さんがすごく好きで、「保志さんが出てる作品を全部見よう!」と、雑誌を見ながら片っ端から追いかけてたんです。

ーー昔のオタクの動きって感じですね(笑)。

そうですね(笑)。その中で出会ったのが、『好きなものは好きだからしょうがない!!』というBL作品でした。深夜アニメだったのですが、ストーリーがすごく面白くて衝撃を受けたんです。ミステリー要素もあって、登場人物たちの過去が少しずつ明かされていく展開だったので、もともとミステリー好きだった私にはすごく刺さりました。原作はBLゲームだったのですが、18禁だったので当時は買えず(笑)。代わりに小説版を集め始めたのが、BLに本格的にハマるきっかけでした。

ーー声優さんがきっかけというのも、当時としては珍しいですね。

アニメから入るというのも珍しかったと思います。 私は同人誌やアンソロジーからではなく、商業BLから入ったタイプなんですよね。最初に商業BL小説、次に商業BL漫画を読むようになり、さらにアニメ雑誌の読者投稿欄でBLっぽいイラストを描いている人たちを見て「こういう文化もあるんだ」と少しずつ知っていった感じでした。

ーーそこから中学、高校で同人文化にも入っていくんですね。

はい。当時、地元・横須賀のカルチャーセンターのような場所で、小規模な同人誌即売会が開催されていました。そのイベントを雑誌で知り、行き始めたのが最初のきっかけでした。高校に入ると、周りにオタクの子が増えて、コミケやオンリーイベント(特定作品だけを扱う同人イベント)にも一緒に行くようになりました。特に高校に入ってからは、BL好きな友達がたくさんできました。語れる友達がたくさんいましいた。美術の授業中にBLの絵を描いている子など、自然と仲良くなることも多かったですね。

ーーオタク生活を送るにはとてもいい環境ですね。

本当にそうですね。単位制の高校だったこともあって、「自分は自分、人は人」という空気感があったんです。いわゆるスクールカーストのようなものもあまりなくて、オタクもギャルも自然に共存していました。当時「腐女子」という言葉は今よりもかなりネガティブなニュアンスではありましたよね。でも私の学校では、BLを読んでいることで男子から何か言われたりしたことはありませんでした。今振り返っても、すごく恵まれた環境だったなと思います。 

ーー今BLのお仕事ができるのも、裕華さん自身がその時代を通ってきたからこそなんだろうな、と感じます。

そうですね。BLが今ほど一般層に認知されていなかった時代からずっと見てきていますし、その頃の空気感も実際に体感してきているので。時代ごとの二次創作の変化もずっと追ってきたので、今こうしてBLのことを言語化できているのも、そうした積み重ねがあるからなのかな、と思いますね。

「応援の循環」を作る会社でありたい

ーー今後、個人として発信していきたいことはありますか?

今は、会社としてしっかり利益を出していくことを大事にしています。一緒に働いてくれている社員もいるので、まずは自分たちが豊かになれることを前提とした上で、自分たちが本当に「良い」と思えるものを作っていきたいですね。それが結果的に、質の高いコンテンツになると思っています。

ーー会社を立ち上げて1年経った今だから、よりそう感じるようになったのでしょうか。

そうですね。1年目は本当に大変でした。でも、その中で改めて感じたのが、今お仕事をくださっているクライアントさんたちのありがたさでした。おかげさまで今期は前年度より売上も伸びる見込みなので、これまで積み重ねてきた信頼や実績を、もっと大切に育てていきたいです。「裕華さんだからお願いしたい」と言ってくださる方もいらっしゃるので、まずはその期待にしっかり応えたいと思います。

ーー具体的に、どのような部分が評価されてると思いますか?

まず、納期やスケジュールを守るといった当たり前のことは、絶対に崩さないようにしています。その上で、依頼されたことをただこなすだけでなく、プラスアルファを付け加えることも意識しています。例えば原稿を提出する時に、「この情報もあった方がいいかも」と思ったら、自分で調べてコメントを添えるとか。そういう“言われてないけどやる”ということは、昔から続けてきました。その積み重ねが信頼につながっているのかなと思います。

ーー今後も推し活や推しカルチャーに関わる事業には、力を入れていくのでしょうか?

会社名の「コーク(COC)」は、「Cheer of Circle(応援の循環)」から作った造語です。私は、“応援”という感情がすごく好きなんです。エンタメに限らず、「この会社を応援したい」「この作品を応援したい」「この人を応援したい」と、応援にはいろいろな形があると思います。自分たちが作るコンテンツによって、誰かの応援につながったら嬉しいです。

ーー“応援”という軸から、コンテンツ制作や発信などの事業につながっているのですね。

私の中で、「応援」はすごく大きな行動原理です。身近な人を大切にしたいですし、誰かの「好き」や「頑張りたい」を後押しできるようなものを作りたい。その思いは、これからも変わらないと思います。

ーー素敵なお話、ありがとうございました!

プロフィール

阿部 裕華(あべ ゆうか)

神奈川県横須賀市出身。システムエンジニアを経てライター・編集者に転身。2018年に独立し、クリエイターや芸能人、経営者へのインタビューを中心にコンテンツ制作に携わる。2025年4月にコーク株式会社(COC Inc.)を設立。現在は編集プロダクション事業やメディア運営を通じて、「COC(Cheer of Circle=応援の循環)」を理念に、人や作品、企業を応援するコンテンツ制作に取り組んでいる。
X:https://x.com/abyou0926

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